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二つの祖国を生きた、台湾少年工

二つの祖国を生きた台湾少年工(石川公弘著)


大戦末期、労働力不足を補うため、8400人余の台湾の少年たちが、志願して日本本土へ渡ったことを知る人は少ない。
平均14,5歳の彼らは、全国の航空機工場に派遣させ、海軍機の製造と整備に従事した。

その高い技術と仕事への忠誠心は各地で称賛され、この年頃の日本人としては誰よりも勇敢にたたかった。
終戦を境に中華民国の国民となった彼らを待っていたのは、厳しい戒厳令下の台湾だった。
                               ~扉の文章より



この事実を知る日本人は少ないでしょう。
彼らは高い倍率を突破し、厳選されたエリートでした。

日本名を名乗り、日本人として内地で働いた。
その少年たちに対して、内地の庶民たちは温かく接したことも記録されています。

著者のお父様は、少年たちの宿舎の舎監でした。
病気の子がでれば、つきっきりで看病し、食糧事情が悪くなってからは、
自分たち家族も、彼らと同じ、質素な食事にした。

彼らをいたわった日本人たちも、決して裕福だったというわけではありません。
一つのものを二つに分けて、彼らに与えた。
その人たちの暖かさが、彼らにして「日本人であることの誇り」を持たせ、
戦後も第二の故郷として心の奥底に、懐かしむ気持ちがあり続けたのでしょう。

先人の日本人への感謝とともに、
この事実を次の世代にも伝えたい、と思いました。

韓流ドラマの背景

韓国ではドラマも映画も、国家主導で作っている、ということは知っていましたが、
それがどういう意味を持つのか、

台湾に行ってみて、初めて肌で感じました。
街中にでかでかと目立つ看板は、韓国流整形。

可愛いコスメと思って、手に取ると裏にはハングル文字。
日本でも進出はしていますが、ここまであからさまじゃないので気づかなかった。

韓流ドラマや映画に出てくる俳優、女優のようになりたい。
で、整形やコスメを売り込むことに成功。

そしてもうひとつの戦略。
韓国はステキな国、行ってみたい国。

それが観光だけにとどまらない。
いま、アジアで一番安く使える労働力は、ミャンマー。

その労働力を巡って、日本と韓国がミャンマー現地で激しい綱引きをしているといいます。

日本よりも、もっと素敵な国、韓国!
韓国に行って仕事がしたい!

そう思わせているんですね~。
ミャンマーでチャングムを放送している間は、職場のおばちゃんたちが夢中になりすぎて、
仕事中もその話ばかり、仕事にならなかったと、夫がぼやいていましたっけ。


韓国が提示する月給は15万。
「それだけあれば、自国の人間が雇えるんじゃないの?
韓国ってすごい失業率なんでしょう?」

と言ったら夫が、
「そのうち半分くらいは、韓国とミャンマーの役人が取っちゃうんだろう」、と。

ああ、そういうことね・・・・・。
実際に出稼ぎしてみれば、どういう国かはわかるでしょう、
二度と行く気にならないかもね。

忘れない、けれども・・・・・

大分事件から、100年

花蓮で起きた原住民蜂起の「大分事件」から100年。
それを記念しての行事が行われました。

民族衣装に正装した原住民たち。

日本には感謝している、日本は好き。
でも、忘れない。

それは民族のアイデンテテイー、誇りを持つなら当然のこと。
謝罪と賠償を何度も繰り返し要求するどこかの国々とは違うわね。

公平、公正ということ

以前の記事に誤りがありました。
>霧社事件を最後にして、台湾原住民の蜂起はなくなった

のではありませんでした。
第二霧社事件があり、そして逢坂事件。

この時初めて、明治以来「殺されれば殺しかえす」というパターンを繰り返してきた
台湾総督府は、「殺さない」方式に180度転換します。

収まらなかったのは、現地の警官たち。
融和政策は原住民の増長を招き、警察官の生命を脅かすのでは、と危惧したのです。

そして昭和9年。
玉里支庁で小野巡査の「行方不明事件」が起きます。
始めのうち、大雨による遭難と報告されたものが、花蓮の警察はこれを
プヌン族の仕業とみて、頭目を拷問にかけ、
頭目は無罪を叫びつつ、獄中で悶死するという痛ましい結果になりました。

台湾総督府はこの事件を重く見て、特別捜査員を派遣。
徹底的な操作が行われ、結果は「冤罪」。

現地での責任者は処罰されました。
台湾原住民対日本警察という事件で一方的に日本警察が処罰されたという事件はこれが最初で最後。

昭和8年以降、原住民による警官殺害事件は、一件も起きなかったからである



原住民たちにとって神のごとき「警官」であっても、
不正を働けば処罰される。
これが原住民たちの気持ちに与えた影響は大きかったと思います。

日本人は公正。
だからこそ、蜂起はその後なくなったのだと思います。
実際は、いろいろあったと思いますが、まあ、その後に来た国府軍がひどかったからねえ・・・。

リーダーとしての八田

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ダム工事に着手した当時、何もないこの場所に作業員を連れてきても、数日で逃げ出すものが続出。
居つかせるために、そうとうの工夫が必要だったと言います。
また賭博、飲酒によるトラブルも多く、地元の警察が介入するのを、
「自分が収めるから手を出さないでくれ」と頼んだのだそうで。

八田氏はエリート技術者ですが、実際に作業するのは作業員。
技術者、作業員、その家族含めて2000人の人たちが暮らす、ある意味では大きな町を収める町長のような役目も負わされていました。

工事途中で犠牲になった人たちの名前は、日本人、漢人、原住民、男女の区別はなく、亡くなった順番に書かれています。八田氏の、このような真摯な姿勢が、人々の心をつかみ、10年という長きにわたった工事を、無事やり遂げたのでしょう。
技術者としてだけではなく、リーダーとして、人間としても素晴らしい人だったに、違いありません。
プロフィール

真島久美子

Author:真島久美子
エッセイスト
56年生まれ、東京育ち
武蔵大学人文学部卒
漫画家としてデビュー後、
30回以上のお見合いを経て結婚、その体験を「お見合いの達人(講談社)として出版、ベストセラーに。
他には「たたかう!落ちこぼれママ」「兄弟は他人の始まり~介護で壊れゆく家族」「やっぱり公立!それでも私立?」など。
趣味は茶道、バレエ鑑賞
夫ひとり、娘ふたりの4人家族

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