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都立高校受験教科の変遷

団塊世代の夫が受験した当時は、
受験科目が 9教科! だったそうです。
内申があったかどうかは聞き洩らしました。

7~8学年下の私の受験時には、内申とペーパーテストの割合が5対5。
テストは 3教科! でした。

当時は学年の中の比率が決まっていて、5は何人、4は何人という具合に、上から振り分けられ、
なので、国立私立受験の多い友人の中学(練馬の学習院と言われていた開進O中です)では、
その子たちの内申を低くし(都立受験しないので、不必要だからという理由で)、他の生徒に回していたとか。
だから彼らが万が一の第一志望不合格だった場合が悲惨で、
実力不相応の下の私立しか行けなくなった生徒もけっこういたとか・・・・。


ただこの当時は、内申が学力のみで評価されていましたし、受験前になると おまけ もしてもらえたので、
まあ、まっとうというか、納得できる制度だったと思います。
事実、都立トップと言われる西や戸山には、地域でもトップクラスの学力の子たちが進学していましたし。

その後、グループ制になって悲惨なことになり、
都立復活ののろしが上がるきっかけにもなったわけですが。

長女の受験の時には、まだ おまけ がありましたけど、次女の時には問答無用でした。
しかも教師の主観が強く反映される。
実技教科では、「絶対に5を出さない」という教師さえいました。
3年次に移動してくれたのでありがたかったけど。

部活を巡って音楽教師に反抗し、「2」を付けられた男子もいました。
校長を交えて話し合い下にもかかわらず、点は変更なし。
その子は早慶の付属に合格し、進学していきましたけど、
中堅の学力の子だったら、死にますよ、ほんと。

校長にも口出しできない、現場の教師の力の強さってなんなんでしょうね?

ちなみに実技教科の内申が1,3倍(当時)だったのは、
「受験時に実技教科のペーパーテストがないから」という理由だそうです。

こうしてみると、私の年代の都立受験がちょっと変わっていたんですね。
ただ、生徒にはとても負担が少ない、いい受験だったことは確かです。
都立の場合は、入学してから勉強する原則が5教科7科目なので、受験科目も5教科になるんでしょうね。
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プロフィール

真島久美子

Author:真島久美子
エッセイスト
56年生まれ、東京育ち
武蔵大学人文学部卒
漫画家としてデビュー後、
30回以上のお見合いを経て結婚、その体験を「お見合いの達人(講談社)として出版、ベストセラーに。
他には「たたかう!落ちこぼれママ」「兄弟は他人の始まり~介護で壊れゆく家族」「やっぱり公立!それでも私立?」など。
趣味は茶道、バレエ鑑賞
夫ひとり、娘ふたりの4人家族

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